“無煙”教育 小学生から

平間 敬文 (ひらま たかぶみ)  無煙世代を育てる会代表

平成4年(1992年)4月10日(金)、読売新聞『論点』

“無煙”教育 小学生から

 高校生の禁煙教育を始めて8年余り、この3月で延べ170校、138,700人の生徒にたばこの害についての講演を行ってきた。
 しかし、現実には、私たちが対象としている高校生ばかりでなく中学生にも喫煙がひろがっている。これは禁煙教育以前の社会的な問題があるように思われる。
 たばこの販売本数は、一昨年度は史上第2位、昨年度は昭和57年度の記録を10年ぶりに塗りかえ、日本におけるたばこ販売史上最高の売り上げであった。世界的に喫煙の害に対する認識が高まり、着実にたばこ離れが進んできている時代に、この異常な売り上げ増加は一体どうしたことであろうか。
 統計では、成人男子の喫煙率は今や60%を割り込むまでに減少している。しかし、全体の喫煙率は一昨年度から微増に転じている。推計される喫煙人口の増加は89万人で、男子は8万人、女子は81万人である。
 つまり、女子の喫煙者の増加が全体を押し上げていると推察され、たばこにも「女性の時代」などとたばこ産業に期待されている。この原因の一つに、野放図にくり返されるテレビCMや、金に糸目をつけない手のこんだたばこ宣伝活動が考えられる。
 ただ、この事実だけではあの異常なたばこ売り上げ本数の伸びは説明できず、やはり統計に表れない大量の未成年喫煙者の存在が確実視される。
 この背景には、たばこを吸うことの有害作用について彼らに良く理解されていない点のあることに気付く。たばこ喫煙者には、「ニコチン依存」が形成され、長期間喫煙を続けることを余儀なくされることである。
 あの綺麗な白いパッケージのどこにも、麻薬に匹敵する強烈な習慣性があることなど書かれてはいない。高校生、否、中学生までもが喫煙者の仲間入りをしていくのは、いったん喫煙行動が習慣として成立してしまうと、それを変えることは至難のわざであることを知らないためであろう。
 「喫煙依存が心理的なものか、生理的な側面を合わせ有しているかは別として、これを断つことは、事実上、ヘロイン依存から脱する以上に困難といっても過言ではあるまい」(現代精神医学大系・逸見武光)とあるように、その離脱はきわめて難しい。
 彼らはたばこがどんな薬物なのか、これからの自分の人生にどのように影響するかを判断する力を持つ前に、いわゆる、ニコチン中毒の世界に引き込まれてしまうわけである。
 この点に関しては、教育を行う側にも多くの問題をみる。ある県の生徒指導教師の研修会で「たばこ吸いの人たちは一日中、一定時間ごとにニコチンを吸引しなければ落ち着いて生活できない人たちなのです」と話したところ「ドッ」と笑いが起こった。しかし話が進み、なぜそうなるのかを理解した後は、深刻な表情となった。
 最近では、各高校で禁煙教育をすすめられるように、学校保健協会から「喫煙防止の手引き」が配布されているが、その中にはこの麻薬的な強い習慣性についての記載が意図的としか思えないほど見事に欠落しているのに驚く。たばこは「合法的に売られている麻薬の一種」くらいの認識がないと、あの喫煙問題の困難さは理解できないだろう。
 学校教育の現場では、多くの教師が真剣にこの問題に取り組み、また苦しんでいる。しかし、生徒の喫煙に対する問題意識には学校間差が大きく、教師自身のたばこや、家庭の無理解が大きな障害になっている。
 生徒指導教諭による学校生活適応障害の面からの取り組みと、養護教諭の健康被害からのアプローチがうまくかみ合っている所はほとんどなく、まさにこれからの問題であるという印象を受けた。
 私たちは生徒に喫煙を薬物習慣の問題として理解させるとともに、招かれた高校で必ず一つの申し入れをしている。それは、生徒の見える所での先生方の喫煙を厳に慎んでもらうことである。職員室に紫煙がたなびいては禁煙教育どころの話ではない。
 さらに、私たちが講演にあわせて行っている調査で、高校生喫煙者の実に82%が15歳までにたばこを始めているところから、小、中学校の先生方にも、このことの重要さを認識してほしい。
 「禁煙教育は早い時期に、学校と家庭で始めるべきであり、全教育課程を通じ、さまざまな段階で強化されるべきである」とWHO勧告(1975)にもある。禁煙教育は小学校高学年から行われるのが主流となるべきものであろう。
 しかし、たばこ産業の標的となり、喫煙習慣成立のもっともさし迫っている高校生を見逃すわけにはいかず、追い立てられる思いで講演活動を続けている。たばこを吸わないことの価値観を啓発することで、いつかは無煙世代が現れることを夢見ている。(医師)

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