子供たちをタバコから守るために「防煙・禁煙教育」

平間敬文 無煙世代を育てる会代表/光潤会平間病院院長

株式会社南山堂『治療』(2005年06月号)

サマリー

  • 喫煙対策をめぐる世界的な社会変化のうねりのなかで、防煙・禁煙教育はわが国特有のさまざまな障害から世界に取り残される恐れがあり、今そのありようが問われている。
  • われわれは21年間、子供たちへの喫煙習慣の蔓延と低年齢化を食いとめるため「無煙世代を育てる会」を組織し、学校訪問による禁煙講話活動を続けてきた。その体験のなかで知りえた問題点を明らかにするとともに、次世代につながる実効性ある禁煙教育のため、医療者の果たすべき役割について述べる。

はじめに

 喫煙をめぐるさまざまな問題に晒されながら、子供たちに蔓延するタバコとその開始時期の低年齢化を食いとめようと、「無煙世代を育てる会」を組織し、学校に出向いての禁煙講演を21年間続けてきた。今も会として実施可能限界の年間50校の枠は1日の余りもなく数カ月前に埋まる。現在(05年3月)までに延べ学校数682校、受講者数は414,989名を数える。
 学校での防煙、禁煙教育には多くの障害があり、子供たちに実効性のある教育をするにはブレークスルーしなければならないさまざまな問題がある。たとえば、喫煙している子供とまだ手を付けていない子供たちに分けて話を聞かせるわけにはいかないことから、「防煙教育」と「禁煙教育」を区別することはできない。「子供は吸わない」とするピュアな「防煙教育」はほとんどありえず、二股かけての話になる。
 私はタバコ対策については、医療者が専門云々を越えて今真っ先に解決すべき課題であると確信している。これは医療者にしかできないとはいえないまでも、私達がきわめて効果的に関わることのできる立場にあるのは疑いない。
 私達がこの活動に入った動機は、大人の禁煙支援にまったく成果が得られなかったという挫折感からである。すなわち最初の1本に火をつけさせないこと以外にこの薬物に対抗するすべはないと思い知らされたからである。タバコをやめさせるのは困難だが、手を付けさせないことは可能だろうと考えた。最初はまさに「防煙教育」を目指したのである。
 対象としたのは当時喫煙習慣が蔓延する恐れが切迫していた高校生である。中学についての危機感はあまりなく、一人でも多くの高校生に、十分なタバコに対する知識を与えてから社会に送り出すことを最優先の課題とした。今やその流行は中学生を越え小学生にまで及んでいると考えた方がよいだろう。
 防煙教育は早ければ早いに越したことはないが、小学校低学年での教育は私達の手に余る。体験的に、小学4年生までのタバコの害を知らせる教育は学校教師に任せるべきであろうと考えている。実際、ミミズを用いたニコチンの毒性実験や、化学反応を利用した主、副流煙の違いなど、子供たちの興味を引き出す多くの取り組みがなされ効果が得られている。私達が受け持つのはその上の年代、つまり健康知識を付与する教育では対応できない「思春期世代に特化した社会的禁煙教育」であろうと考えている。

I 全校一度に薬物教育として禁煙教育を

 生徒達は「タバコを吸うのがよくないことは分かるけれど、本当のところなぜいけないのか分かりません。先生も含めてなぜみんな平気で吸っているのですか。なぜ国が売るのですか。本当に悪いものだったら社会から自然に排除されていくはずだと思うのですが…」と問いかけてくる。これがいま学校内での禁煙教育を受けた子供たちの抱く一般的な疑問である。これは喫煙にかかわる欠陥教育の核心的な部分を突いている。この問題点を明らかにし、具体的に何をどのように伝えるべきか、私達の経験を述べる。
 1)私達が活動を始めた84年頃は、医師も含めてのことだが、「タバコが薬物である」という認識がほとんどなかった。古くからあった「ニコチン中毒」という分かりやすい言葉も学術的理由から駆逐されていた。中毒ということばは、学術的に毒劇薬の急性毒性による障害(急性中毒)と重金属などの慢性毒性による障害(慢性中毒)にしか用いることができず、現在用いられているニコチン依存症という概念も明確ではなかった。
 近県の生徒指導教師の研修会で「喫煙者はニコチンという薬物を一定時間ごとに繰り返し吸引しなければ、安定した精神状態が保てない人たちなのです」と話したところ理解されず、満場の笑いを買った時代であった。まず教師に「喫煙習慣=薬物依存」について理解を持たせなければならないと考え、あえてニコチン中毒という言葉を多用することにした。講演もその狙いの半分は生徒のため、半分は教師のために行われたといってよい。わが国は欧米に比ベタバコの流行が約30年遅れたことから、今でも恐るべき健康被害についての教師の意識が、なお観念的なものにとどまっているように思う。
 2)生徒の側にも大きな問題がある。実のところ最近では50%を超える喫煙率の高校も珍しくはない。男女の喫煙率が逆転しているところすらあるので、子供たちを概ね吸ったことのない対象として話すのは現実的ではない。この辺りのウェイトのかけ方が難しいところだが、事前のアンケートで把握してそれぞれの学枚の実態に沿った講話内容としている。「未成年者は吸っていない」という前提で行う建て前教育を、私達医療者までする必要はない。
 また禁煙教育は、いちどきに学校全体で行うのが必須の要件と考え、それを私達が講演をボランティアで引き受ける条件としている。全教師や生徒が喫煙問題の本質について同じ情報を共有しないことが、その後の大きな障害となることがよく分かったからである。「全校一度に」という機会を整えるのは大変なようだが、さみだれ式にやるのは労多くして功少なしの典型であると考えているので、例外は作らないようにしている。

II 禁煙講演の実際

 1)スキルとしては「Tobacco Kills * Don't be Duped」が基本となる。講演の実施に際して教育講演調になることは絶対避けたいこともあり、私達は明るくお洒落なCM写真を見せることからはじめる。まず若者にインパクトある広告やキャッチコピーの裏に隠された意図を、できる限りさらけ出すことにカを注ぐ。
 10代に絞って巧妙に喫煙を誘いかけるタバコ企業の手口と、うさん臭い大人達の狙いを、タバコ企業の内部文書を示しながら分かりやすく解説する。爽やかでお洒落にみせかけた宣伝に騙され、生涯ニコチン中毒のよいお客様に仕立て上げられることに気づかせ、彼らが持つ思春期の自然な「反発カ」を引きだす作戦である。
 そうしたうえで、今まで知らされていなかった「隠された悲惨なタバコ病の現実」を私達の実体験を加えて明解に画像として提示する。自分の目で判断させれば、思春期ゆえ持ちうる猜疑心をタバコに対する嫌悪に転換できるのではないかと期待してのことである。
 2000年のWHO世界禁煙デーの標語になったTobacco Kills * Don't be Duped(タバコは人を殺す、騙されるな)が、最初から変わらない私達の基本的スタンスである。
 2)禁煙講演の実施に当たっては、話の進め方に適切な順序があると考えている。よくタールに染まった汚い肺や何種類かのがんを最初に見せたりするがこれは避けるべきである。20年30年先にがんになる話をしても子供たちにはどうということもない。おじいさんおばあさんが病気になる話で、自分との関連を想起させることは難しい。私達はおおむね次のような順序で話している。
 a)大人たちは平気で吸っているが、タバコはドラッグ。麻薬の一種だから「試しにちょっとだけ…」が通りません。一本目に火をつけるかつけないかに君たちの一生がかかっています。
 b)君らに吸わせたい人たちがいて、いろいろ手の込んだ誘いかけをしてくる。今狙われているのはまさに君たちと女性です。それを早く知らせたくて、私達は学校に来ました。
 c)今、恐ろしさを何も知らずに吸ってきた大人たちに何が起こっているか。吸い続けるとこれから何が起こってくるかを、医学的な知識として聞いてください。
 d)今はよい薬ができて、手を付けてしまった人でもやめることができるようになりました。これはタバコを吸っている家族にも教えてあげてください。
 全校生に聞かせるコツなど詳細については、参考文献としてあげた自著「子供たちにタバコの真実を」を参照いただきたい。

III 学校がする禁煙教育の困難な理由と私達の対応について

 1)行政府に対する配慮
 禁煙教育でまず第一に伝えなければならないのは、麻薬に匹敵するタバコの強い依存性であるが、学校教育ではあまり深く踏み込めない事情がある。実質的にタバコは国が製造販売元であり、その体制の内で教育に携わる教師が「タパコの正体は薬物である」と教えるのは難しい。そのうえ、問題の多いこの製品を行政が後押しして販売している現状は説明のしようがない。国民の健康を守る立場にある私達医療者であれば、なぜこのようなことになっているのか、どう対処すべきかをはっきりと教えることができる。
 2)法律に対する配慮
 タバコは成人にとっては合法であることから、建て前教育のなかで喫煙習慣を否定するスタンスは取りにくい。学校内でもまだ「タバコは大人の嗜好品、法に触れるわけではない」とカビの生えた意見を述べる人達がいる。子供たちは「悪い」とされることが二十歳(はたち)になったとたんに悪いことではなくなるという不可解さを、到底理解できないだろう。これは、法律上の問題ではないことをはっきりと教えなければならない。
 3)喫煙教師、管理職への配慮
 学校を禁煙化するときにも大きな問題となることだが、教育のなかでタバコを否定することは喫煙者の人たちを否定することにつながる。禁煙推進が彼らの被害者意識から反発を招き、それが校長など管理職である場合は活動を進めるうえで大きな妨げとなる。
 これに対しては、受動喫煙から子供たちを保護する健康増進法の立場から、彼らに職場の禁煙を要求するのが早道である。この点、外部の医療者からの意見は重く、早急な対応を迫られるという。校長の協力が得られれば、喫煙規制はトップダウンが最も効果的なことから無煙環境整備は一気に進む。これも今は、県レベルで解決しつつある。
 4)喫煙する父母への配慮
 禁煙教育は、喫煙する父母への信頼を覆すことになる可能性もあることから気配りが必要といわれる。教師の立場で「お父さん、お母さんが吸っていてもタバコはよくない」とは正直いいにくい。「お父さん、お母さんの時代はタバコの害についてよく分かっていなかったので」と苦しい言い訳をするにしても、子供たちに父母の喫煙を納得させることはできないだろう、
 また、家庭内の喫煙状況を聞くだけで、個人情報の侵害とクレームがつくのも珍しいことではないという。今の中高校生の父母は、ちょうど80〜90年代の無批判なタバコ宣伝活動のなかで思春期時代を過ごした人達で、タバコに無知、無頓着な人が多い。家庭の深刻な喫煙状況が子供たちの禁煙教育の最大のネックといってよいだろう。
 この人たちへの介入は、PTAや授業参観など学校行事での集まりがわずかなチャンスで、それ以外に情報伝達の機会はない。私たちはPTAに声をかけられたときは、何をおいても講演を引き受けることにしている。
 5)生徒に対する配慮
 生徒の家庭がタバコ生産農家であったり、タバコ販売に携わっていることはままある。タバコを否定することが子供の家庭の職業を否定することに繋がる場合がある。禁煙教育からいじめや差別が生じるケースも考えられるため、いきおい慎重にならざるを得ないという。ただ、このことをことさら言い立てる喫煙教師に対しては苦笑するしかない。タバコ生産農家やタバコ販売に携わる人に何一つ罪はないことを、あらかじめよく知らせておけばよいだけの話である。
 6)地方自治体への配慮
 自治体はかなりの額のタバコ税の還付金を受け取ることから、タバコ擁護の立場をとるところが少なくない。市町村立である小、中学校での禁煙教育は、行政への気遣いからどうしても当たり障りのないものにならざるを得ない。さすがに今は「タバコは地元で買いましょう」と宣伝するところはほとんどなくなったが、タバコ税に必要以上の気配りをする行政の体質は色濃く残っている。文部科学省、日本学校保健会からの教本や自治体の出す禁煙指導パンフレットの類が、ほとんどの場合子供たちにとって何のインパクトもない、曖昧で金太郎飴的なものになってしまうのもこのせいである。実効性ある禁煙教育にはほとんど使いものにはならない。
 私達はこの問題で、いわば歩合制でタバコを売らされている自治体に気配りする必要はない。わずかな税収が未来社会に大きなツケを残すことをはっきりと伝えよう。

おわりに

 たばこ規制枠組み条約(FCTC)の発効により、これから日本のタバコ対策は確実に改善に向かうであろう。しかし、国がタバコを管掌し、たばこ事業法が温存され、税体系に変化がないとすれば、学校での禁煙教育はこれからも大きな構造的欠陥を抱えたまま続けられることになる。
 欧米での禁煙教育は医療者が牽引する形で60年代にはがんになるぞと脅し、70年代はすべての情報を与える啓発活動を行ったという。しかし十分な効果は上がらず、80年代以降はどんな誘惑にもイヤといえる心理教育に向かったという経緯がある。日本でも最近は「セルフエスティーム」を掲げ、自分を自分で守る「ライフスキル」を与える教育に向かっているという。しかし、タバコの正体と喫煙によりもたらされる悲惨な現実を子供たちに正確に伝えられないまま、欧米が長い禁煙教育の積み重ねのすえ到達した依存に対する心理学的取り組みを行っても、多くは望めないであろう。
 禁煙教育は、やはり喫煙の害を日々実感している医師や保健関係者が総力を挙げてあたるべきではないだろうか。性教育にもいえることだが、教育の社会分業、教育の社会化が必要であろう。私たち医療者は、この問題に取り組むことが30年遅れたことを率直に認め、積極的に関わっていくべきであると考える。
 ちなみに2005年のWHO世界禁煙デーのスローガンは「保健医療の専門家はタバコ規制に全力を」である。

〈参考文献)

1)特集・地域におけるたばこ対策の取り組み.公衆衛生,63(11),1999.
2)北沢杏子:こんにちは!禁煙教育.アーニ出版,1986.
3)平間敬文:子供たちにタバコの真実を.かもがわ出版,2002.

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