新春随想

茨城県医師会報 2009年1月

 理事 平間敬文

タバコと日医と筑紫哲也

 またまたタバコの話になって恐縮だが、今年はこの分野でかなり大きな転換点を迎えることになりそうである。ここ10年くらいで最大の変革をもたらす可能性のあるのが、神奈川県松澤知事による「受動喫煙防止条例」制定の動きである。成立の可否は如何になるにせよ、地方自治体レベルでここまで曖昧にされてきた他人のタバコの煙による被害が、県議会最大の懸案になること自体今までの日本でなかったことである。世界から30年遅れの日本のタバコ対策が一気に進む可能性が出てきた。JTがらみの潤沢な資金を裏付けとして自民党議員を中心とした執拗な反対運動に手こずることが予想されてはいるものの、松澤知事の方針に揺らぎはないようである。

 今日本は20年以上前に予測された「がんの津波」にモロにさらされた状態にある。芸能人、政治家、ジャーナリスト、文化人など、国民の目が否応なしに向く人々に容赦なくタバコ病が襲いかかっている。ガンの歴史を顧みると、多くの場合人類とがんの因果関係はごく単純といってよい。米国を例にとると、20世紀直後からその豊かさゆえ喫煙習慣は全く無制限、放任状態であった。その結果はそれこそ恐ろしいものであったのだが、我が国が学ぶべき事実について、その核心部分はほとんど伝えられることがなかった。いろいろな政治的経済的事情があったにせよ、米国のタバコ暴露による歴史的な人体実験に学ぼうとする流れが作れなかったのである。

 筑紫哲也氏が73歳で逝去された。肺がんとの闘病1年半の早逝である。多くのジャーナリストの中でも、ニュース番組を中心に独自の主張を貫いた稀有な存在であった。それにしても70歳をやっと超える生涯は、決して普通のことではない。彼は自らが認める筋金入りのスモーカーであった。テレビで自らのがんとの闘病を告白したとき「タバコを吸えばがんになることは知っていた。しかし私がなることはないだろうという根拠のない自信があった」と述べている。ちょうど20年前、禁煙運動が激しさを増していたニューヨークで生活していた彼は、当時の米国がなぜドラスティックにタバコ抑制に向かったかがほとんど理解できなかったようで「この厳しい喫煙御禁令は、タバコのおいしさを日々知らせてくれる効用がある。我慢を重ねた上の一服の楽しさは、自由に吸える日本で味わえるものではない」と書いている。米国ががんの津波に苦しんだうえで「がんと闘っても人類は勝つことができない、がんにならないことが其の唯一の実効性ある対策である」と結論した大きな健康政策転換の歴史的現場に立ち会っていたのだが、気づきは得られず、彼のタバコに対する認識はそれから20年、世界を巻き込む反喫煙のうねりによっても殆ど変えられることはなかったようだ。

 タバコは多くのドラッグの中で、これをビジネスに用いるに、他の植物アルカロイドにないいくつかの利点があった。幻覚作用を持たず、仕事をやりながらでも使用することができ、喫煙者になったからといってすぐに健康を損ねたり死ぬことはない。そうして飛びきり強い依存性(やめにくさ)を併せ持っていた。これらの特性から、おそらくアルコールに次いで人類に最も広く用いられたドラッグとなった。しかし、これが1970年代を境に大きく凋落していく。他のドラッグにはない致命的な欠陥が明らかにされたのである。他の薬物にない「ガンを引き起こす」という致命的な欠陥が広く世界の知られるところとなった。国家のありようを常に独自の視点で鋭く抉っていた筑紫氏が、国のダーティビジネスの典型的な犠牲者となったことはいささか皮肉に感じられる。メディアがその想いを取り上げることはないが、奥様がひつぎにタバコを入れるのを拒否なさったことは、私にとって大きな救いであった。

 それにしても日本のタバコ対策の遅れは、世界的にみていまや異常と言ってよい。今回南アフリカで開かれたFCTC(たばこ規制枠組み条約)の第3回締約国会議(COP3)で、タバコ販売促進広告・スポンサーシップの規制、自動販売機の禁止、国際協調してのタバコ税率引上げ推進を168カ国の中でひとり反対し顰蹙を買った。財務省を中心とした日本代表団がすごすごと引き下がった惨めな状況を国民に知らせてくれるメディア、もちろん行政機関もない。ここは、国民の健康を守ることを使命とする日本医師会が、まず責任を以て真実を啓発し、国にその対策を要求する義務があるのではないか。財務官僚やその提灯持ちの厚労省官僚が国民の健康を守ってくれそうにないことは、だれもが気づいているのだから。

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