医の一番! たばこ

【朝日新聞】茨城版(2009年9月〜10月)

平間 敬文(ひらま・たかぶみ)

45年、下妻市生まれ。日本医科大卒。
水戸赤十字病院外科副部長などを経て平間病院院長。
無煙世代を育てる会代表。
中高生らへの禁煙教育などで05年に保健文化賞を受賞。

受動喫煙の怖さ知って

 私はたばこが抵抗なく吸われている現状にとても我慢できず、喫煙者には「もういい加減にたばこはやめましょうよ」と、診察室に限らずどこでも言うことにしている。
 たばこの恐ろしさは正直言ってほとんどの大人たちが知らない。分っているつもりになっているだけで、無邪気にプカプカやっている人たちを見ると悲しくなる。日本政府の国民にかかわるポリシーの貧しさや、たばこにまつわる権益で長年作られた「無知」を見せつけられるからである。
 私のよく知っている弁護士さんが、たばこ病訴訟をテーマにした海外での検討会で、「なぜ日本は、被告に国が入っているんだ」と真顔で問い詰められたという。日本では国(専売公社)が長年たばこを製造販売し、たばこ税は今でも重要な財源の一つになっているという事情は理解されず、「なぜ科学的に有害性が明確で、政策的な喫煙規制が必要と分っていて法律を変えないのか」とほとんどの人が呆れるという。
 多くの先進国の人たちはたばこのわずかなにおいを怖がり、煙を真剣に避けようとする。彼らの母国では、法のもとに受動喫煙被害から守られ、安全に生活している場合が多いが、日本ではこの発がん物質から自分を守るのは自分自身しかいないのだ。
 「たばこは大人の嗜好品」「個人の自由の問題」「分煙することで共存すべきだ」……、と恥も外聞もなく公言する文化人たちがいまだにいる。ニコチンというドラッグを吸引する「薬物習慣」であることを決して理解しようとしない。
 多くのドラッグの中で、たばこには、他にないいくつかの利点があった。幻覚作用を持たず、仕事をしながらでも使用でき、吸ったからといってすぐ病気になったり、死んだりすることもない。
 しかも、飛びきり強い依存性を併せ持つという特性から、おそらくアルコールに次いで人類に最も広く用いられたドラッグとなり、世界的なビッグビジネスとなった。
 しかし、これが1960年代を境に大きく凋落していく。「がんを引き起こす」という致命的な欠陥が明らかになったからである。
 政治的状況が大きく変わったこの機会に、たばこの真実とわが国最大の環境問題と言える「受動喫煙」の防止を中心に何回かに分けて述べてみたい。

(2009/09/25)

国際条約、国内では無視

 あまり知られていないが、「たばこ規制枠組み条約・FCTC」という世界的な取り組みが世界166カ国で精力的に進められている。わが国も参加しているが、今のところ政府は何としてもことの詳細を国民に知らせたくない様子である。
 条約の前文には「たばこの消費およびたばこの煙にさらされることが死亡、疾病および障害を引き起こすことが、科学的証拠により明白に証明されている」とある。その国際条約を批准しておきながら国内では無視に近い態度で、今なおあからさまな喫煙擁護の姿勢を崩していない。
 たばこは予算編成権を有する財務省が管轄権を握っており、厚労省、文科省など本来たばこを健康や教育面から規制すべき省庁は、腫れ物に触るような姿勢を強いられている。牛海綿状脳症(BSE)対策やダイオキシン対策には何十、何百億円という予算がつくが、国民の健康に最も大きくかかわるたばこ対策にはほとんど予算がつかない。これは財務官僚の天下りの問題と切り離せないだろう。
 たばこは86年、中曽根内閣の日米協議でその輸入が突然完全自由化され、莫大な利益を生む国際薬物ビジネスに門戸が開かれた。これだけで日米間貿易不均衡の問題が見事に解消された。米国仕込みの明るくさわやかな「洋モク」のCMが何の規制もなく受け入れられ、若者は女性を含めなだれを打ってニコチンの罠に吸い込まれていった。
 以来約10年、たばこは史上最高の売上高を更新し続け、わが国は先進国最高の喫煙率と消費量を誇ることになる。国は国民の健康を犠牲に、先進諸外国の急速なたばこ離れによる売り上げの落ち込みを見事に穴埋めする役割を演じた。
 誤った政策方針は、今なお続く。国際価格の半値以下という低価格にも手をつけられないままだ。たばこ消費量の減少による貿易摩擦の再燃や、値上げに弱い子どもたちが吸えなくなることを怖れているのだろうが、誤った政策と政治システムが、先進国最悪のがん大国を生み出している。
 行政は今まで、公害問題で嫌というほど手ひどい過ちを学んできたはずだが、たばこ病という歴史的に解決法のあきらかな史上最大の公害についても、数知れぬ犠牲者の行く末を冷徹にみつめ続けているようだ。

(2009/10/02)

依存度ランクは3番目

 たばこをやめたい、やめた方がいいと考えている人は7割を超す。たばこは大人の「嗜好品」と呼ばれる。この言葉が知られざる秘密をよく物語っている。趣味でもなければお好みといったものでもない。「麻薬に類する薬物」を指している。明治時代につくられた怪しい造語である。
 ひとたび喫煙を覚えた人は、ほとんどが朝から寝るまで計ったように20本程度のたばこに繰り返し火をつけて吸引する。通常一生吸い続け、自然に禁煙に至ることは少ない。
 ニコチンはいま芸能界で大きな話題になっている覚せい剤や大麻、MDMAといった薬物の中でも依存性の強さ、つまりやめにくさから言うとはるか上位にランクされる。ヘロイン、コカインに次いで「依存度ランキング」では3番目の非常にやめにくいドラッグと知れば、なぜたばこをやめられないかが分かろうというもの。自力でやめられる人はまあ8%くらい。ガムや貼り薬を使って18%。病院に行って飲み薬などを使えば50%超はやめられるものの、多くは再度喫煙者に戻る。
 ひと言で言って禁煙は非常に難しい。正気を失ったり、仕事に差し支えたりすることはないが、吸い続けるしか術はなく、他の薬物の健康被害とは異なり、がんや心臓病の待ち構える人生に向かう。
 ここで起きるのが「認知的不協和」という状態だ。本当はやめたいが、やめられず吸い続ける自分を何とか納得させるために、「たばこを吸って長生きしている人も多い」「悪いといえば排ガスやダイオキシンの方が問題だ」などと、無理やり考えをねじ曲げようとする。これはニコチン切れで生じる禁断症状と共に、大きなストレスとなって喫煙者を苦しめる。
 この苦しさから一発で抜け出す方法がある。たばこに火をつけるということだ。たばこは自分のストレス解消になくてはならぬものと思い込むのも無理からぬこと。私も禁煙を決めたときに「明日からどうやって生活するんだろう。生活できるんだろうか」と、真剣に恐れを抱いた記憶がまだ生々しい。「自分の脳が実は薬物に乗っ取られていた」と気付いたのは、しばらく後のことであった。
 早く始めれば早いほど、若ければ若いほどやめにくく、病気がちな短い人生を送ることになるのを、若い人たちに一刻も早く伝えなければならない。

(2009/10/16)

「受動喫煙防止条例」茨城も

 ご存知のように、わが国の死亡原因のトップはがん。多くの方々は文明病と信じているようで、世界中でまだがん死亡がどんどん増えているとの印象をお持ちのようだが、違う。少なくとも先進国と言われるほとんどの国で、がん死は大きく減っている。
 わが国も実のところ女性では明らかに減少している。しかし、男性ではがん罹患率が減っているにもかかわらず、がん死はむしろ増えている。これは男性に死亡率の高い、つまり「助からない肺がん」が急激に増えているからと考えられている。
 世界保健機関(WHO)が「たばこ煙濃度に安全なレベルは存在しない」と強い警告を発しているように、技術の粋をつくしても分煙などで安全な空気環境は得られない。私たちの生活の中で60種類もの発がん物質に遭遇する機会など「受動喫煙」以外にはない。食用油エコナの発がん性騒ぎなど悪い冗談に聞こえる。
 きれいで安全な空気環境の中で生活することは決してわがままではなく、健康に生きるための基本的な権利である。国の不作為に業を煮やした神奈川県がこの3月、罰則付きの「受動喫煙防止条例」を独自に可決、来年の4月から施行される。小さなお店や職場は除外されるなど不十分な点はあるが、神奈川全県で実際に始まれば全国に大きな影響をもたらすだろう。
 「たばこの海に浮かぶ禁煙国」と言われる米国も、一朝一夕に国民が無煙の世界で生活する権利を得たわけではない。たばこ産業との熾烈な一進一退の戦いの中、がんの恐怖を避ける権利、安全な環境に生きる自由を勝ち取ってきた。米国がもし連邦政府にたばこ問題を委ねていたら、たばこ産業が勝利しただろうと言われている。連邦政府はたばこマネーで身動きが取れなくなっていたのである。
 しかし、子供たちを守ろうとする医師会や、職場環境の安全にかかわる身近な労働団体、さらには州政府といったサブシステムともいえる力が結局は勝利し、米国を禁煙国に変え、がん死を着実に減らすことに成功している。
 20年遅れながら、神奈川県はわが国の健康政策に大きな転換点を与えてくれた。茨城県もぜひ追随したいものである。

(2009/10/23)

大幅値上げし広告規制を

 たばこ対策で日本のなすべきことは、この問題での世界憲法たる「たばこ規制枠組み条約FCTC」ですでに明確になっている。ただ、やるかやらないか、出来るか出来ないかだけだ。
 まず、たばこを大幅に値上げし、若者を惑わす広告を規制(禁止)する。さらには日本で最大の障害となっている84年成立のたばこ事業法を撤廃し、受動喫煙被害からの保護を法的に担保することである。世界的にまれな「たばこ事業の健全な育成を図り、その税収をもって健全な財政に資する」という馬鹿げた悪法が今なお生き残っていることが、わが国の健康政策における諸悪の根源だ。
 8月の総選挙にあたって、7月に出された民主党のマニフェストを補完する政策集に注目したい。「たばこ税については、財源獲得の目的で規定されているたばこ事業法を廃止し、健康目的の法律を新たに創設、FCTCで求められている喫煙率低下へ向けての価格政策としてたばこ税を位置づけます」。さらに「1本いくらという現行の課税方法ではなく、健康影響を考えた視点から国民が納得できる課税としたい」と踏み込んでいる。
 たばこ税を上げると消費が減り税収も減るという作り話がまことしやかに喧伝されているが、段階的に政策的値上げをした英国では千円を超えてもまだ税収は増加基調を失っていない。たばこは少しくらい高くなったからといっておいそれと禁煙できるほどヤワなドラッグではない。安心して値上げして、確実な財源にしてほしい。
 タスポ効果だろうか。いま急速に青少年の喫煙率が低下している。不景気の影響も加わってか、国内のたばこ消費量は明らかに大幅な減少をみせている。来年4月、神奈川県受動喫煙防止条例が実施され、社会変化が目に見えたとき、その影響の大きさは想像に難くない。このタイミングで価格面での消費抑制策が加われば相乗効果が期待される。
 わが国をがんの津波から救う道は世界保健機関が求めている喫煙習慣のデノーマライゼーション(たばこを吸うのは正常ではないとすること)であろう。底知れぬ恐ろしさに無知のまま虜になった人たち、特に若い女性には、皆さんが出来る限りの嫌な顔を見せてあげてほしい。不安に思いながらもたばこの罠から抜け出せない人々に、それは未来の微笑みとなるだろう。

(2009/10/30) 完

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